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終わりなき始まり [カテゴリー未分類]

写真の撮り方を忘れてしまった。
 
と、思うくらいカメラを持ち出していない日々が続いた.....まいった。
 
やっと、撮れた(取れた)のは休日だった(笑
  
 
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何を撮りたいのか?でなく、何を撮れるのかで探してみた。
 
天気も良かった...訳でもなかったが、気分転換になるにはやはり空の下だろう。
 
という事で、空港へ向かった。 
 
 
 
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こんなにブログのUPを怠ったことがあっただろうか?
 
ホント、写真の撮り方忘れてもいいくらい、カメラを手にしていなかった。
 
撮り方よりも、カメラの使い方を忘れてしまっていた(笑 
 
 
 
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しかし、いつ終わるんだろう?
 
いや、終わったと思ったら、始まっているのだ。
 
さすがに、疲れた。
 
この歳で、そこまで働かせるか!と、いつも思ってはいたが、今回はちょっときつかった。 
 
 
 
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そう、今年が正念場なので踏ん張るしかない!
 
こういう仕事って、知っている人しか知らないから、何をしていると聞かれてもうまく答えられない。
 
カミさんだって、正直具体に何をしているか知らないだろう。
 
そんなもんだと思って生きてきたが、最近、寂しいもんだと思えてきた。 
  
 
 
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ま、愚痴でしか埋められないブログではあるが、何とか更新できて一安心(苦笑
 
 
今月も、何でそこまでしなくちゃならないの?てな事に関わってしまった事から、東京の写友と約束していた九州の写真撮影をキャンセルしてしまった。
 
ホント、行きたかったのに(迷惑かけてごめんなさい!)......
 

 
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とは言っても、自分以上に苦労している人がいるのだから踏ん張るしかないだろう。
 
誰でもいいから、一人だけでもいいから、「ありがとう」と言ってもらえるのを夢見て。 
 
終わりなき始まりの道のりだとしても。 
 
 
 
 
 
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それぞれの春を迎えに [カテゴリー未分類]

春が来た。

といっても、とっくに春は来ていたが、この度やっと春を迎えに行く事が出来た。

場所は、仙台ではあまりにもベタな白石川一目千本桜だ。

遠くに蔵王がかすかに見える......ちょっと遠すぎた。

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桜の堤防敷きを歩いていると、カメラを構えた人たちが皆同じ方向にレンズを向けていた。 
 
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その方向はこちら。

そう、みんなが狙っていたのは定番のアングルである。 
 
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定番は、右側にも桜並木が入ってきます。
 
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この日は桜を撮るというよりは、桜の下にあるドラマを被写体にした。

そう、何気ない幸せという時間を切り撮ってみた。
 
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たくさんの人たちが、各々の春を迎えに集まっていた。

人それぞれの迎え方があった。
 
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4月は、新しい年度の始まりであり、花を咲かせ実を結ぶ季節に向けての始まりでもある。

つまり春は、誰にでも1年間かけて積み上げたものがあって、それを踏まえて実を結ぶ次のステップに進む節目になる。
 
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この町にも春がきた。

町は様々な代償とともに将来につながるモノを積み上げてきた。そして、近く、その結果について決断する日が近づいている。

皆はどちらを選ぶのか?

どちらを選んでも、どちらが選ばれても、今年度は正念場となる。



止める事は、誰であろうと許されない。

この町も春を迎えに進んでほしい。誰も冬にもどる事を望んでいないから。

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新たな年に向ける思い [カテゴリー未分類]

1月4日、久しぶりに家族で閖上の朝市に行って来た。

昨年12月に震災前の場所に戻って朝市が開かれていたことから、今年初の朝市に行ってみようとなったもの。

▼ゆりあげ港朝市
 
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日が昇らない朝6時にも関わらず、すごい人混み。
誰もが楽しみにしていたのがよくわかる。 
 
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朝市から海側に目を向けるとまだ時間は止まったままのようだ。 
 
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そんな様子をぶらぶら観察していると、おじさんたちが何やら談笑し、磯の良い香りがおじさんたちの周りを取り囲んでいる。
 
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そうこうしているうちに、まだ年明けしたばかりの若い朝日が昇って来た。 
 
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日が昇ってくると、お客さんの数は目に見えて増えてきた。

お客さんが増えるとともに、お店の活気も増してくる。 
 
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今年初めての朝市開催だったことから、この日は地元の閖上太鼓がムードを盛り上げた。 
 
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先ほどのおじさんたちが談笑していたところは、いつの間にか大にぎわいである。

もちろん、あの磯の良い香りも大にぎわいとなっていた。 
 
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これが磯の香りの正体。 
 
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お客さんの数は、自分たちが着いた時間の倍以上に増え、昔から変わらない閖上朝市の活気を取り戻したように見える。
 
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朝市の用事を済ませ、日和山に手を合わせに。

以前、うちのチビ助と一緒に来た時に比べると、あちらこちらに人の手が入った様子が伺える。 
 
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写真の中央、車がいっぱい集まっているところが、閖上朝市の会場である。

その場を離れて、遠い位置から客観的に見れば復興という言葉を感じ取ることは難しい。 
 
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ただ、あの時から時間が止まったままではない。

その人や組織の立場、考え方で、手法は違えど何らかの形で各々前に進んでいる事は見えはじめている。

それは、それらの現場の近い場所に立っているから見てくるもの。感じるもの。

あくまで個人的な考えだが、全ての人が納得するバラ色の復興なんてあり得ないと思う。きっと誰もが感じていることだとも思う。


ここまで来て思うのは、その人、組織の考えや立場を理解し、互いに歩み寄る努力をした先に、始めて復興という言葉が形として見えてくるのではないかということ。

その歩みよりや努力した結果のひとつが閖上朝市だとも思う。

そして、その始めの一歩がこの冬空の下に寒そうに咲く花たちであることも。
  
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4年目に入った今年、形にしていく必要のある年であるかもしれないが、再度、互いに向き合って歩み寄る必要のある年なのかもしれない。

閖上朝市にきたお客さんが朝日を眺めるのを見ていて、そんな事を感じた年の始まりでした。 
 
 
 
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8年後の中秋の名月には [カテゴリー未分類]

9月20日、満月の「中秋の名月」ということで、メディアはこぞって取り上げていた。
 
そして、中秋の名月とは必ずしも満月とは限らないということを改めて知った。
 
この年齢になって恥ずかしい....
 
 
満月の月。
 
同じ月でも、ホワイトバランスで印象がだいぶ変わってくる。どちらも同じ月なのだが。 
 
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次にくる満月の中秋の名月は8年後だそうだ。
 
そう考えると、これから変わっていくだろう場所の中秋の名月をおさめたくなった。
 
8年後の同じ場所で撮った月はどう見えるのか。その場所はどう変わっているのか比べてみたくなった。
 
そう、タイムカプセルのような感覚で。 
 
 
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その場所は、津波で入江となってしまったところで唯一砂浜のある場所。そういう場所は結構ある。
 
きっと、小さな河川の河口だから、このような状態のままなのだろう。
 
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ただ、一線堤となる新しい防潮堤は、この入江を挟んで南側と北側で既に完成している。
 
今後も工事が進み、きっとこの小さな砂浜も消えてしまうと思う。 
  
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新たな防潮堤の外側にあった堤防の残骸。
 
こちらの方に歩いてきたら、新しい防潮堤を近くで見ることができた。 
 
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この無機質なコンクリートの壁が沿岸部に延々と続くこととなる。
 
前から景観面での議論はあったが、 今、この時期何を優先すべきなのかを考えると自分にはわからない。
 
ただ、何もない状況よりは、安全という言葉を少しだけでも感じられるのかもしれない。  
 
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満月の中秋の名月が登ってきた。
 
18:00を過ぎると、あたりはもう真っ暗だ。
 
かなり心細い..... 
  
 
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8年後、この場所はどう変わっているのか。
 
7年後の東京オリンピックで この国はどこまで変わるのか。
 
楽しみではあるが、不安も残る。 
 
変わるべきもの・ことは、足元にたくさんあるから。
  
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あの夏を振り返るとき [カテゴリー未分類]

 

先日、小説を読んで泣いた。

 

感情移入してしまう内容であったこともあるが、当時の実情を想像し、そんな時代を生き抜いていった祖父母の事を思い出したから。

 

小説の名前は「永遠の0」百田尚樹作

 

過去、フェイスブックにて写友が紹介していたものだったが、本屋でふと目についたので内容を確認せずに購入した。

 

ストーリーは、ある事から姉と弟が太平洋戦争の特攻で死んだ祖父の事を調べるにつれ、今まで知らなかった祖父の本当の姿や真実が、戦時中の状況を背景にミステリー調に明かされていくといった内容である。

 

ただ、この姉弟には育ての祖父がいる。本当の祖父は戦争で死んで、その後、祖母が今の祖父と一緒になったという前提で話しが進んでいくものだ。

 

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自分もこの主人公(姉弟)と同じ状況にあった(実の祖父は特攻ではないが)ことから、感情移入しやすかったのかもしれない。

 

これまで誰からも戦争の話を聞いたことがなかった。戦争の話自体が我が家にとってずっとタブーだったような気がする。

 

ただ、1度だけ4年前に他界した祖母から戦争の話を聞いたことがあった。

 

それまで戦争という話題に出会ったことが無かったので、今でも印象に残っている。

 

確か自分が小学校3年か4年生ぐらいだったと思う。

 

夏の晴れた日、庭先で草取りをしていた祖母が、傍らで遊んでいた自分と妹に話しかけてきた。

 

内容的には、米軍の戦闘機が来て川に飛び込んで逃げた事や爆弾を落とされたが土が柔らかかったのか不発弾であったというようなものだった。

 

そして、その話しの流れで、どうしてもこの家に嫁いで来てもらいたいと、何度も頼まれて嫁に来たんだと話した。

 

今思えば、この時、祖母は何を振り返っていたのだろう?

 

理由は分からないが、祖母はこの家にお嫁さんに来たくなかったんだとずっと思っていた。

 

自分は婆ちゃん子だった事からも戦争に関わる話は気まずくなると思い、それ以降そのような話を自分から切り出すことはなかったし、家族の話題にのぼることもなかった。

 
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その謎が解けたのは、大学に入る頃だったと思う。

 

当時入学の際に戸籍謄本か抄本が必要だったことから、その中で父親が養子となっているのに気付いた。

 

つまり、自分の本当の祖父は戦争で亡くなっており、祖母は死んだ祖父の弟と一緒になったのだ。
 
その時、子どもだった自分の親父と一緒に。
 
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85歳を前に肺がんで逝った祖母は、自分の最期を病院ではなく在宅にこだわった。

 

ベットに伏せるまで、祖母は4歳のひ孫を気にかけ、最後までやさしく接してくれた。

その2年前に逝った祖父も同じように。

 

やがて、ベットに横たわり痩せていく祖母に、家族が毎日声をかけ続けるのが普段の生活となっていった。 
  
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そんな中、休みの日に息子と一緒に祖母のベットの脇に座り絵本を読んでいた。

 

すると、祖母が目を覚まし、手を自分の方に差し出してきた。

 

その手は痩せた身体に比べしわが無く肉付きの良い手であったが、後日、カミさんが言うには、循環器が機能していないため、手がむくんでいるとの事だった。

 

その手をどうしてほしいという事だったのか?

 

分からないまま、その手を握って揉んであげていると、祖母は自分に向って静かにつぶやいた。

 

「おれは幸せだ。とっても幸せだった」と。

 

 

 

涙が止まらなかった。 

 
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この小説を読んでいて、この時のことを思い出し、小説の中に祖母や祖父を重ねて泣いた。

 

ここで、戦争の不条理や是非を議論したい訳ではない。

 

20代の若さで、戦時中戦後とあの不条理な時代、今の時代には考えられないような事を受け入れ、生き抜いて死んでいった祖母が、人生の最後に「幸せだった」と言ってくれたことが有難かった。

 

ほんとに有難かった。

 

この一言で、これまでずっと、何かを引きずってきた自分の気持ちが救われたような気がして、嬉しかった。

  
 
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この小説にはフィクションが含まれているのだろうが、あの戦争やその背景にあるものは現実である。

 

終戦から68年が経過し、これが「まだ」なのか、「もう」なのか、捉え方はどちらでも構わないが、あの時代をリアルに生きてきた祖父母の世代は確実に少なくなってきた。

 

ただ、幼少期を送った自分たちの両親は、幸運なことに身近で暮らしている。

 

この先、あの夏の日の祖母の年齢に近づいていく自分は、その年齢になった時、その半生をどう振り返るのだろう。

 

誰かに自分の生きざまを語るぐらいの価値を持っているのだろうか。

 

そんなことを自問する日が、増えてきた気がする。

 

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最後に、この小説を紹介してくれた写友に感謝する。

 

そして、このブログを読んで頂いた縁ある方にも一読することをお勧めしたい。

 

 

 

 
 
 

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この子たちが真っ直ぐ進めるように [カテゴリー未分類]

震災から2年が過ぎ、メディアは競って復興が遅れている、職人がいない資材がないと今後も不安が残ることを強調して今年の3.11を締めくくった。
 
確かにその通りだ。
だから、どうしろと?
だから、どうにかしてくれるの?
 
正直、時間がたってくると、当事者とそうでない者の意識のズレが、だんだん違う方向に進んで行っているのを最近強く感じる。

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先日、一つの学校が閉校となった。
先の津波にのまれ、2階部分まで浸水し破壊された山元町の中浜小学校である。
その時、学校にいた子どもたちや教職員、一部の保護者は屋上のペントハウスにて難を逃れ、翌朝自衛隊のヘリにて救出された。
この校舎は、破壊された規模からも復旧は困難と判断、当の子どもたちが被災した中浜小学校に戻ることは現実的でなかった。
なので、閉校式典は近接する坂元中学校で行われた。
 
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この学校の子どもたちは、同じ町内の坂元小学校に併設・合同授業という形で、震災後から坂元小学校の児童たちと一緒に勉強していた。
(※併設とは1つの校舎を2つの学校で同時に利用している状況。つまり、1つの校舎に違う学校の職員室や校長室が2つあり、授業だけは合同=同学年で一緒に授業を行い、その時先生は各学校の先生が一緒についていた)
 
この町は、この状態を「間借り」や「仮住まい」という表現は一切使わせず、あくまで併設という言葉で通している。
子どもたちのために....
 
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もとから人数的に少なかった児童数も、震災後は町外移転に伴い半数の30人近くへと減少していた。 
そして、その併設状態を2年目にして解消した結論が、中浜小学校を閉校し、併設していた坂元小学校への統合である。
これは、素直で当然の流れであったと思う。
 
その中で、もう一つの統合手法を模索していたとも聞く。
結論を導き出すために、先頭に立たなければならない人がいる。
今の子どもたちの事、これからの子どもたちや地域づくりのための事を考えて出していたもう一つ結論。
でも、その内容については、数の論理で消えてしまった。言葉と気持ちは、地域に届くことはなかった。
逆に、責められる場面もあった。
何故そこまで言われなくてはならないのか?という気持ちが込み上げた時もあった。 
 
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でも、どの言葉も、誰もが子どもたちの事を一番に考えて伝えた気持ちであり意見なのである。
それが、今回の統合の結果なのだと、誰もが分かっている。
 
併設という言葉と同じく、一貫して貫いてきたこと。
それは、これら大人のゴタゴタをこの子どもたちに見せてはならない。それだけ....
 
これからの町の教育行政は課題が多い。でも、迷わず....迷っても前に進んでいくしかない。
 
ありがたいことに、背中を押してくれる応援は数多くある。
 
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閉校式が終ると「思い出を語る会」~第22回けんこまつり~が開催された。
 
さて、この「けんこまつり」なんでも、昔からやってきた地域のイベントらしく、あいさつの後に「もみじ」の歌を合唱して始まる。
 
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そして、中浜小学校の歴史を卒業生や歴代の校長先生、これまでの歴史をスライド等で綴った内容でした。
子どもたちには、閉校式からちょっと時間がかかりすぎた感じが(苦笑....でも最後まできちんと聞いていました。 
 
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で、けんこまつりの最後のフィナーレとして、壇上からお餅がまかれました。
子どもたちは特等席にて、ほんと楽しそうにお餅を取り合ってました。
 
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自分は何処にも属する立場ではないが、正直当事者であった子どもたちや保護者たちの声無き声を聴きたかった。
でも、それはそれで、また波風が立ってくるのだろう。
 
この場が自分だけの思いをぶつける場として許されるなら、知ってもらいたいという気持ちがある。
 
あの人が、あの人たちが当初掲げたものは、間違っていなかったと思う。
それは、個人的に今でも間違っていないと断言できる。
 
だって、誰よりも子どもたちの事を、地域のためを考えて出した結論だったのだから。
 
この子たちが、この町の子たちが元気に真っ直ぐ前に進んで行くことを祈ります。
そして、見えない垣根を越えて、この子たちの未来を築いていく地域であることを願います。
 
 
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未来に進むための別れ [カテゴリー未分類]

先般、縁あって山元町立山下第二小学校の「校舎お別れ会」に参席してきました。
 
山元町では2つの小学校が津波被害にあい、どちらの校舎も利用できなくなりました。
そのひとつが、この山下第二小学校です。
現在、この学校の子どもたちは、町内の近接する小学校に併設(ひとつの校舎に2つの学校)という状態で、学校生活をおくっています。 
 
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ケヤキの葉が色づく青く晴れた空の下、山下第二小学校の子どもたちが集まってきました。
 
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関係者の人たち、保護者、卒業生、地域の大勢の人たちが集まり、それを取り囲む報道により「校舎のお別れ会」が始まりました。 
 
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校歌を立派に歌い切った子どもたちは、とてもカッコよかったです。 
  
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会の始まる前に、子どもたちだけで校舎の中に入り、最後のお別れ。
久々の母校へ来れたのがうれしいのか、みんな楽しそうでした。
 
そんな中、 TVカメラを向け「今の気持ちは?学校がなくなってどう思う?」のお決まりのフレーズがあちらこちらに。
どんな答えが聞きたいんだろう?
この人たちは、その答えに至るまでの気持ちや感情って、カメラを通して伝えきれるのだろうか?
 
かくいう自分も、この人たちと同じ側にいるのだろう。
ただ、視点が違うだけで...。 
 
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15時19分で止まっていた時間。
この校舎にあるすべての時計は同じ時刻で止まっていました。 
 
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その時間をとり戻すように、子どもたちの笑い声が、話し声が、校舎の中にぐるぐる響いていました。 
無くなってしまうという実感が、まだ湧かないんだと思う。
だって、この場所にいれば、また 始められると錯覚してしまうくらいリアルに存在しているのだから。
 
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会が終わって、保護者を含む一般の人が校舎内に入り最後の別れを惜しんでいました。
1階部分天井まで浸水したのが今でもわかる状況。
そして、残さずにはいられなかったメッセージ。
 
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体育館では、保護者や卒業生が校歌を写真に撮り、教室のあちこちで子どもたちと一緒に、または親同士で思い出話を語り合っていました。
でも、誰も悲観的なものじゃなく、同窓会の思い出話のように静かに、いつまでも....。 
 
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2階の音楽室の黒板に書かれた文字。
 
この校舎を壊してどうなるというのか?
何か変わるのか?
その通りだ、壊したことで何か見えてくるものはあるのだろうか?素直な疑問だ。 
 
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正しい答えというものは、無いのかもしれない。
ただし、間違いという答えもないのだと思う。
この学校に関わった人々の数だけ答えがあるだけ。
 
ただ、答えを見つけようとしている人へ、ひとつの方向性をこの学校の庭先で見つけました。
それは、前に進むしかないということ。 
 
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校長先生が挨拶の中で言っていた。
校舎は無くなってしまうのは悲しいしが、君たちの心に思い出として残る。
ありきたりの言葉かもしれないが、あの場にいて、素直に受け入れられる言葉だった。 
 
そう、後ろばかり振り向いていられない、前(現実)をまっすぐ見て進むしかないのだろう。
それは、あの場にいた全ての人たちにとって。 
 
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皆さんの外側にいるひとりでしかありませんが、ともに前に進めるよう、 力になりたいと思います。
  
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笑顔を取り戻す活動と気持ち切りかえる季節 [カテゴリー未分類]

あれから1年、今日のTVは震災関連の報道で始まり、そして終わった。逃げるわけではないが、あまり思い出したくなかったので、今日のTVは名古屋女子マラソンだけにして、写真ワークショップに向けての練習をしていました(苦笑。

自分が現実から目をそらしているとき、写真つながりの友人からメールがありました。

その友人は、あるボランティア活動に参加していたそうです。

それは、宮城野区、若林区で津波に流された思い出をきれいに洗浄して、持ち主に返すための活動。

昨年末から、たくさんのボランティアの方々が参加して、一人でも多くの方に大切な思い出を返したいという願いが込められているそうです。これらは、仙台駅東口の中央市民センター6階体育館にて今月25日(日)まで展示されています。

休館日は毎週月曜日、3月21日(水)となり、入場は無料だそうです。 

宮城野区、若林区で被災にあわれた方で、ご自分も含め、友人や大切な人の思い出を見つけて頂ければと思います。

写真って、撮る行為、現像する行為で完結しているんじゃなくて、いろんな出来事や想いが加わって持ち主の未来に残されていくものなんですね。あらためて、写真本来の在り方に教えられました。

うらやましかったです、人の笑顔を取り戻せる活動に参加していたこと。お疲れさまでした。 

▼仙台市拾得物展示のお知らせ「おもいで再開ひろば」 

http://www.omoide-kaeru.com/index.html

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もう1年が経つのに、まだ寒い日が続いている。

何かをきっかけに、何かが変わってほしいと思いつつ、この気候に今日のTVにちょっとイラついている。

だから、早く季節が変わらないかなと、そんな兆しを見つけたくて、撮影練習?を終えて変化を探しに庭に出てみた。 

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やっと見つけました!

その時、頭の中に松任谷由美のフレーズが流れた。

早く来てほしい、気持ちも切りかえられる季節。

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▼美容室aims/ギャラリーaims

http://www.aims-unison.jp/ 

 


今だから伝えられる言葉 [カテゴリー未分類]

これまでの人生で、こんなに人の怒り、嘆き、悲しみをぶつけられた事はなかった。
 
一握りのルールにより、守られた空間の人と同じ平等を得る事のできなかった不満。
守るべきもののために取った行動が、事務的な手続きで切り捨てられた対応への嘆き。
自分が何をしたのか、何故こんな仕打ちを受けねばならないのかと、今も何処にもぶつける事のできない怒り。
その瞬間の記憶さえなくしてしまったほどの恐怖。
現実の生活と未来への不信感により、元いた場所に帰る事のためらい。
何も残らず、これからの自分と家族の行き先を見定められない深すぎる不安。
家族にも見せる事を拒んできた、行き場のない本当の気持ち。
 
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完全な光と陰に分かれた各々の現実。
 
自分にこの人たちを助けられると思ってもいないし、そんな傲慢な気持ちなどこれっぽちもない。
自分にできるのは受け止めるだけ。伝えることだけ。 
 
ただ、この国は何をどこまでわかっているのだろう?
我々は建て前を振りかざして、誰のために何を進めて行くのだろう?
そして、自分の思い描いたストーリーにしか興味のない報道は何を伝えるのだろう?
 
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昨日は、長くて短かった期間が終わった日でもあり、自分の人生がスタートした日。
終わって、気づいた事。それは、最後、皆に伝えていた一言。 
 
半年前までは、軽々しく言えなかった言葉「頑張って」
 
一年近くたち、やっと各々の目標が見えてきた今だから言える言葉「頑張って」
 
結局、自分は無力なのかもしれないけど、目を見てやっと言えるようになった言葉。
 
「頑張ってください」
 
自分のために、家族のために、自分に負けずに頑張ってください。
 
 
私も、きっと誰かのためになると信じて頑張ります。
 
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誰もが春を待ちわびて [カテゴリー未分類]

なんと!ブログ始まって以来、初の恋愛論である。
 
先日、とある場所で、とある女性と話をする機会があった。
ブログで話すのだから、もちろん想像どおり可愛いく愛嬌のある人でした。
こんな出だしだと、すぐ国分町だろと思うだろうが、そうはいかない。
暖かな日差しの入る、健全で味もそっけもない空間。恋愛論を語り合うような雰囲気のない部屋であった。
そんな、シチュエーションはどうでもいい。
まさか、この年で恋愛論を語るもアドバイスするも、何年?何十年?ぶりだろうか!
 
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普通、何回か話を重ねると、その人の雰囲気や性格がわかってくるもの。
それは恋愛観も同じようにわかってくる(ただの思い込みと考えたくないが)。
彼女の話を聞いていると、自分の若かりし頃を思い出す。
危なっかしい恋愛をしてたなと、思い出しつつ楽しく談笑していたのだったが......
 
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そっか~、ま、若いんだから色んな恋愛経験しなくちゃね。
結婚なんて早い早い! 
そう、俺と10歳違うんだ~、
そっか~  ん?
って 
え?20歳違うの!?
え?俺そんな年だったの!!
あなた!落ち着きすぎでしょ!
いや、年齢はわかっていたので、自分の年齢を10歳も気持ち的に間違ってたってこと!?

本気で落ち込みました... 
 
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最後、彼女に言いたかったことがあったのですが、ある時間が来てしまい話せなかった事をこの場所を借りて。
 
思い出をつくるために、思い出づくりをする必要はないと思います。 
きれいに最後をまとめようと考えた時点で、もう終わっているのだから。
ならば、その終わっている時間を次のステップへ踏み出す時間に変えた方が、きっと素敵なものを見つけられると思う。
 
ん~、でもね、若いんだから、突っ走ってみるのもいいのかなって。
(自分のどこかで、許容している) 
どれが正解かは、時間が経って思い出として見つけられるんだよね。
自分もそうだったから。
 
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