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あの夏を振り返るとき [カテゴリー未分類]
先日、小説を読んで泣いた。
感情移入してしまう内容であったこともあるが、当時の実情を想像し、そんな時代を生き抜いていった祖父母の事を思い出したから。
小説の名前は「永遠の0」百田尚樹作
過去、フェイスブックにて写友が紹介していたものだったが、本屋でふと目についたので内容を確認せずに購入した。
ストーリーは、ある事から姉と弟が太平洋戦争の特攻で死んだ祖父の事を調べるにつれ、今まで知らなかった祖父の本当の姿や真実が、戦時中の状況を背景にミステリー調に明かされていくといった内容である。
ただ、この姉弟には育ての祖父がいる。本当の祖父は戦争で死んで、その後、祖母が今の祖父と一緒になったという前提で話しが進んでいくものだ。
自分もこの主人公(姉弟)と同じ状況にあった(実の祖父は特攻ではないが)ことから、感情移入しやすかったのかもしれない。
これまで誰からも戦争の話を聞いたことがなかった。戦争の話自体が我が家にとってずっとタブーだったような気がする。
ただ、1度だけ4年前に他界した祖母から戦争の話を聞いたことがあった。
それまで戦争という話題に出会ったことが無かったので、今でも印象に残っている。
確か自分が小学校3年か4年生ぐらいだったと思う。
夏の晴れた日、庭先で草取りをしていた祖母が、傍らで遊んでいた自分と妹に話しかけてきた。
内容的には、米軍の戦闘機が来て川に飛び込んで逃げた事や爆弾を落とされたが土が柔らかかったのか不発弾であったというようなものだった。
そして、その話しの流れで、どうしてもこの家に嫁いで来てもらいたいと、何度も頼まれて嫁に来たんだと話した。
今思えば、この時、祖母は何を振り返っていたのだろう?
理由は分からないが、祖母はこの家にお嫁さんに来たくなかったんだとずっと思っていた。
自分は婆ちゃん子だった事からも戦争に関わる話は気まずくなると思い、それ以降そのような話を自分から切り出すことはなかったし、家族の話題にのぼることもなかった。
その謎が解けたのは、大学に入る頃だったと思う。
当時入学の際に戸籍謄本か抄本が必要だったことから、その中で父親が養子となっているのに気付いた。
85歳を前に肺がんで逝った祖母は、自分の最期を病院ではなく在宅にこだわった。
ベットに伏せるまで、祖母は4歳のひ孫を気にかけ、最後までやさしく接してくれた。
その2年前に逝った祖父も同じように。
やがて、ベットに横たわり痩せていく祖母に、家族が毎日声をかけ続けるのが普段の生活となっていった。
そんな中、休みの日に息子と一緒に祖母のベットの脇に座り絵本を読んでいた。
すると、祖母が目を覚まし、手を自分の方に差し出してきた。
その手は痩せた身体に比べしわが無く肉付きの良い手であったが、後日、カミさんが言うには、循環器が機能していないため、手がむくんでいるとの事だった。
その手をどうしてほしいという事だったのか?
分からないまま、その手を握って揉んであげていると、祖母は自分に向って静かにつぶやいた。
「おれは幸せだ。とっても幸せだった」と。
涙が止まらなかった。
この小説を読んでいて、この時のことを思い出し、小説の中に祖母や祖父を重ねて泣いた。
ここで、戦争の不条理や是非を議論したい訳ではない。
20代の若さで、戦時中戦後とあの不条理な時代、今の時代には考えられないような事を受け入れ、生き抜いて死んでいった祖母が、人生の最後に「幸せだった」と言ってくれたことが有難かった。
ほんとに有難かった。
この一言で、これまでずっと、何かを引きずってきた自分の気持ちが救われたような気がして、嬉しかった。
この小説にはフィクションが含まれているのだろうが、あの戦争やその背景にあるものは現実である。
終戦から68年が経過し、これが「まだ」なのか、「もう」なのか、捉え方はどちらでも構わないが、あの時代をリアルに生きてきた祖父母の世代は確実に少なくなってきた。
ただ、幼少期を送った自分たちの両親は、幸運なことに身近で暮らしている。
この先、あの夏の日の祖母の年齢に近づいていく自分は、その年齢になった時、その半生をどう振り返るのだろう。
誰かに自分の生きざまを語るぐらいの価値を持っているのだろうか。
そんなことを自問する日が、増えてきた気がする。
最後に、この小説を紹介してくれた写友に感謝する。
そして、このブログを読んで頂いた縁ある方にも一読することをお勧めしたい。
この子たちが真っ直ぐ進めるように [カテゴリー未分類]
未来に進むための別れ [カテゴリー未分類]
笑顔を取り戻す活動と気持ち切りかえる季節 [カテゴリー未分類]
あれから1年、今日のTVは震災関連の報道で始まり、そして終わった。逃げるわけではないが、あまり思い出したくなかったので、今日のTVは名古屋女子マラソンだけにして、写真ワークショップに向けての練習をしていました(苦笑。
自分が現実から目をそらしているとき、写真つながりの友人からメールがありました。
その友人は、あるボランティア活動に参加していたそうです。
それは、宮城野区、若林区で津波に流された思い出をきれいに洗浄して、持ち主に返すための活動。
昨年末から、たくさんのボランティアの方々が参加して、一人でも多くの方に大切な思い出を返したいという願いが込められているそうです。これらは、仙台駅東口の中央市民センター6階体育館にて今月25日(日)まで展示されています。
休館日は毎週月曜日、3月21日(水)となり、入場は無料だそうです。
宮城野区、若林区で被災にあわれた方で、ご自分も含め、友人や大切な人の思い出を見つけて頂ければと思います。
写真って、撮る行為、現像する行為で完結しているんじゃなくて、いろんな出来事や想いが加わって持ち主の未来に残されていくものなんですね。あらためて、写真本来の在り方に教えられました。
うらやましかったです、人の笑顔を取り戻せる活動に参加していたこと。お疲れさまでした。
▼仙台市拾得物展示のお知らせ「おもいで再開ひろば」
http://www.omoide-kaeru.com/index.html
もう1年が経つのに、まだ寒い日が続いている。
何かをきっかけに、何かが変わってほしいと思いつつ、この気候に今日のTVにちょっとイラついている。
だから、早く季節が変わらないかなと、そんな兆しを見つけたくて、撮影練習?を終えて変化を探しに庭に出てみた。
やっと見つけました!
その時、頭の中に松任谷由美のフレーズが流れた。
早く来てほしい、気持ちも切りかえられる季節。