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雨の歌 [写真雑談]

このじめじめとした梅雨はいつまで続くの?
 
洗濯物を思いっきり乾かしたいと願うカミさんがつぶやく。
 
やっとの休みでも、この雨では何に対しても気持ちがのらない。
 
 
雨も上がったので、滞っていたブログ更新のための材料を探しに庭に出てみた。
 
グダグダしているより健康的。 
 
すると、待っていたかのように、あちらこちらにお客さんたちが.... 
 
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何を想うのか、 何も考えていないのか?
 
撮影を切り上げるまで、彼はそこに在り続けた。 
 
 
 
 
 
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雨上がりだからなのか、それとも人間と同じようにこの湿気にけだるさを感じるのか、モンシロチョウも動きがちょっと鈍い。
 
そのおかげで、食事の様子をじっくり拝見することができたのだが。 
 
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蝉の鳴き声は聞いたが、まだ夏という感覚が持てないで8月に入ろうとしている。
 
仙台の梅雨って、そんなに長かったっけ? 
 
 
 
  
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雨上がりのクモは大変だ。まずは家の修復から始めなくてはいけない。
 
といっても、こんな考えをするのは人間だけなんだろう。 
  
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やっとブログの更新ができたと安堵すれば、次の材料を調達しに行くのはいつになることやら.....
 
また、この天気を恨めしがる日々が続く。
 
でも、庭のお客さんたちは、全て受け入れ本能のまま雨の歌を聴いているのだろう。 
 
 
 
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あの夏を振り返るとき [カテゴリー未分類]

 

先日、小説を読んで泣いた。

 

感情移入してしまう内容であったこともあるが、当時の実情を想像し、そんな時代を生き抜いていった祖父母の事を思い出したから。

 

小説の名前は「永遠の0」百田尚樹作

 

過去、フェイスブックにて写友が紹介していたものだったが、本屋でふと目についたので内容を確認せずに購入した。

 

ストーリーは、ある事から姉と弟が太平洋戦争の特攻で死んだ祖父の事を調べるにつれ、今まで知らなかった祖父の本当の姿や真実が、戦時中の状況を背景にミステリー調に明かされていくといった内容である。

 

ただ、この姉弟には育ての祖父がいる。本当の祖父は戦争で死んで、その後、祖母が今の祖父と一緒になったという前提で話しが進んでいくものだ。

 

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自分もこの主人公(姉弟)と同じ状況にあった(実の祖父は特攻ではないが)ことから、感情移入しやすかったのかもしれない。

 

これまで誰からも戦争の話を聞いたことがなかった。戦争の話自体が我が家にとってずっとタブーだったような気がする。

 

ただ、1度だけ4年前に他界した祖母から戦争の話を聞いたことがあった。

 

それまで戦争という話題に出会ったことが無かったので、今でも印象に残っている。

 

確か自分が小学校3年か4年生ぐらいだったと思う。

 

夏の晴れた日、庭先で草取りをしていた祖母が、傍らで遊んでいた自分と妹に話しかけてきた。

 

内容的には、米軍の戦闘機が来て川に飛び込んで逃げた事や爆弾を落とされたが土が柔らかかったのか不発弾であったというようなものだった。

 

そして、その話しの流れで、どうしてもこの家に嫁いで来てもらいたいと、何度も頼まれて嫁に来たんだと話した。

 

今思えば、この時、祖母は何を振り返っていたのだろう?

 

理由は分からないが、祖母はこの家にお嫁さんに来たくなかったんだとずっと思っていた。

 

自分は婆ちゃん子だった事からも戦争に関わる話は気まずくなると思い、それ以降そのような話を自分から切り出すことはなかったし、家族の話題にのぼることもなかった。

 
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その謎が解けたのは、大学に入る頃だったと思う。

 

当時入学の際に戸籍謄本か抄本が必要だったことから、その中で父親が養子となっているのに気付いた。

 

つまり、自分の本当の祖父は戦争で亡くなっており、祖母は死んだ祖父の弟と一緒になったのだ。
 
その時、子どもだった自分の親父と一緒に。
 
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85歳を前に肺がんで逝った祖母は、自分の最期を病院ではなく在宅にこだわった。

 

ベットに伏せるまで、祖母は4歳のひ孫を気にかけ、最後までやさしく接してくれた。

その2年前に逝った祖父も同じように。

 

やがて、ベットに横たわり痩せていく祖母に、家族が毎日声をかけ続けるのが普段の生活となっていった。 
  
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そんな中、休みの日に息子と一緒に祖母のベットの脇に座り絵本を読んでいた。

 

すると、祖母が目を覚まし、手を自分の方に差し出してきた。

 

その手は痩せた身体に比べしわが無く肉付きの良い手であったが、後日、カミさんが言うには、循環器が機能していないため、手がむくんでいるとの事だった。

 

その手をどうしてほしいという事だったのか?

 

分からないまま、その手を握って揉んであげていると、祖母は自分に向って静かにつぶやいた。

 

「おれは幸せだ。とっても幸せだった」と。

 

 

 

涙が止まらなかった。 

 
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この小説を読んでいて、この時のことを思い出し、小説の中に祖母や祖父を重ねて泣いた。

 

ここで、戦争の不条理や是非を議論したい訳ではない。

 

20代の若さで、戦時中戦後とあの不条理な時代、今の時代には考えられないような事を受け入れ、生き抜いて死んでいった祖母が、人生の最後に「幸せだった」と言ってくれたことが有難かった。

 

ほんとに有難かった。

 

この一言で、これまでずっと、何かを引きずってきた自分の気持ちが救われたような気がして、嬉しかった。

  
 
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この小説にはフィクションが含まれているのだろうが、あの戦争やその背景にあるものは現実である。

 

終戦から68年が経過し、これが「まだ」なのか、「もう」なのか、捉え方はどちらでも構わないが、あの時代をリアルに生きてきた祖父母の世代は確実に少なくなってきた。

 

ただ、幼少期を送った自分たちの両親は、幸運なことに身近で暮らしている。

 

この先、あの夏の日の祖母の年齢に近づいていく自分は、その年齢になった時、その半生をどう振り返るのだろう。

 

誰かに自分の生きざまを語るぐらいの価値を持っているのだろうか。

 

そんなことを自問する日が、増えてきた気がする。

 

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最後に、この小説を紹介してくれた写友に感謝する。

 

そして、このブログを読んで頂いた縁ある方にも一読することをお勧めしたい。

 

 

 

 
 
 

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