八重垣神社夏祭り [写真雑談]
仕事上?なりゆき上?といいますか....
先日、山元町八重垣神社の夏祭りに行くこととなり、行ってきた。
この八重垣神社、あの日の津波で本殿、拝殿、社務所がすべて流されてしまった。
今は、小さな仮社殿が元いた場所に鎮座しているだけである。
しかし、この神社は、鎮守の森を再生するための植樹祭が行われたり、そして、昨年から例祭が行われることとなった。
この例祭とは、宮城県南部の三大祭として知られており(と言っておいて、自分は知らなかった....)、お神輿を担いで海へ入っていくという豪快なものならしい。
そろそろ、海へ向けて出発。
担ぎ手は景気づけに、いや、お神酒を頂きお神輿を担いで海へと向かう。
鳥居を出たところで、海へ入った時のシミュレーションをしてみたのか?
急にグルグル激しく回り始めて、ちょっとビックリ!
さて、海に向けて出発。
海に入っての神輿担ぎが終わったあとは、数か所仮設住宅をまわっていくのだそうだ。
この町の海岸線は、この堤防により守られることとなった。
延々と続く堤防は、海岸線という自然的地形の発想を構造物という言葉に変えてしまった。
そして、日常的に海岸に出入りしていた道は無くなり、海への道はお祭り用に仮設でつくられたようだ。
そのうち、日常という言葉の前に「昔は」という言葉が付け加えられるようになるのだろう。
堤防を越えたところの祭り場は、このように狭いものであった。
堤防の向う側は、北から南へずっと砂浜が続いているのだろうと思っていた。
しかし、自分の考えは、あまりにも楽観的すぎた。
でも、自然も人も強いものだと思う。
前に進むために、再生しよう・戻ろうという力が働く。この祭りもそうなのだろう。
担ぎ手さんたちは、身体を清めるために海に入っていった。
そして、お神輿を担いで、再度梅へと....
何とも楽しそうである(笑
シャッターを押しながら自分も笑っている。
ほんと、楽しそうだ。
達成感の表情で、浜辺へご帰還となる。
この後、仮設住宅をまわって、じいちゃんやばあちゃんたちを喜ばせるのだろう。
皆さん、どうもお疲れさまでした。ありがとうございます。
何かに関わっていなければ、この祭りもこの町の事も知らなかったことだろう。
ゴールという線をどこで引くのかは分からない。
けど、ゴールを目指して進むのは、この担ぎ手の人も仮設の人も、そして自分も同じなのだろう。
あの日以前の環境と全く同じとはいえないが、同じ気持ち・前向きな気持ちが持てるように、このような地域の心の支えは必要なのだと思う。
当たり前の事なんだけどね。